播州山崎は、播磨灘に流れ込む揖保川の中流域にある盆地にあります
江戸時代の初期に、町割りが行われ、城下町として発展してきました
揖保川の高瀬舟の発着場として周辺部から集められた産物を運び、交通の要衝として栄えました
徳川家康公の娘婿で、現在の姫路城を築城したことで名高い池田輝政公の4男の輝澄公が播州山崎に入り、大坂夏の陣のあった1615年に宍粟藩として成立しました
しかし、池田輝澄公はお家騒動があり、因州鹿野に移ります
以後、松井、池田3代と藩主が移り、1679年に大和郡山から本多忠英公が播州山崎に入り、明治維新まで8代189年間、この地を治めました
播州山崎本多まつりでは、長きにわたり播州山崎を治めた本多家の足跡を辿る「山崎藩ゆかりの地巡り」で、本多公への理解を深めていただこうと計画しています
当日は、古地図を片手に散策し、往時の歴史を偲びます
本多家の菩提寺である大雲寺では、藩主寄進の曼荼羅を本邦初公開予定です
江戸時代の初期に、町割りが行われ、城下町として発展してきました
揖保川の高瀬舟の発着場として周辺部から集められた産物を運び、交通の要衝として栄えました
徳川家康公の娘婿で、現在の姫路城を築城したことで名高い池田輝政公の4男の輝澄公が播州山崎に入り、大坂夏の陣のあった1615年に宍粟藩として成立しました
しかし、池田輝澄公はお家騒動があり、因州鹿野に移ります
以後、松井、池田3代と藩主が移り、1679年に大和郡山から本多忠英公が播州山崎に入り、明治維新まで8代189年間、この地を治めました
播州山崎本多まつりでは、長きにわたり播州山崎を治めた本多家の足跡を辿る「山崎藩ゆかりの地巡り」で、本多公への理解を深めていただこうと計画しています
当日は、古地図を片手に散策し、往時の歴史を偲びます
本多家の菩提寺である大雲寺では、藩主寄進の曼荼羅を本邦初公開予定です
播州山崎本多まつりは、武者行列からスタートです
参加するのは、宍粟山崎手作り甲冑の会と姫路忍者会の皆さん
天然記念物の千年藤がある藤まつり会場を通り
山崎藩本多家の菩提寺である大雲寺へ向かいます
ここで、何かが起こるかも
午後のメイン会場は、こちら山崎城内堀跡にある本多公園
市内の老舗や事業者によるグルメ市
甲冑の着付け体験や手裏剣講座も
ゴールデンウイークの初日は、老若男女問わず楽しめるイベントが盛りだくさんです
参加するのは、宍粟山崎手作り甲冑の会と姫路忍者会の皆さん
天然記念物の千年藤がある藤まつり会場を通り
山崎藩本多家の菩提寺である大雲寺へ向かいます
ここで、何かが起こるかも
午後のメイン会場は、こちら山崎城内堀跡にある本多公園
市内の老舗や事業者によるグルメ市
甲冑の着付け体験や手裏剣講座も
ゴールデンウイークの初日は、老若男女問わず楽しめるイベントが盛りだくさんです
奥播磨の城下町、播州山崎
ここは、江戸時代の初めに城下町が形成され、姫路城を築城した池田輝政の4男、池田輝澄(てるずみ)が宍粟郡を領国として立藩したのが起こりです
時は、元和元年(1615)、大坂夏の陣があった年のことです
池田氏1代、松井氏1代、池田氏3代を経て、本多氏が大和郡山から山崎に移ってきたのは延宝7年(1679)、徳川幕府は5代将軍 綱吉公の時代でした
以後、本多氏8代で明治維新まで続きました
約190年間、山崎を治めた本多氏を顕彰し、多くの人に知ってもらい、郷土の誇りとすべく来る4月29日、第1回播州山崎本多まつりが開催されます
山崎本多藩の歴史探訪パネルや山崎藩ゆかりの地巡りなど、徳川四天王の一人、本多忠勝を祖とする本多氏をたっぷりと堪能することが出来ます
ここは、江戸時代の初めに城下町が形成され、姫路城を築城した池田輝政の4男、池田輝澄(てるずみ)が宍粟郡を領国として立藩したのが起こりです
時は、元和元年(1615)、大坂夏の陣があった年のことです
池田氏1代、松井氏1代、池田氏3代を経て、本多氏が大和郡山から山崎に移ってきたのは延宝7年(1679)、徳川幕府は5代将軍 綱吉公の時代でした
以後、本多氏8代で明治維新まで続きました
約190年間、山崎を治めた本多氏を顕彰し、多くの人に知ってもらい、郷土の誇りとすべく来る4月29日、第1回播州山崎本多まつりが開催されます
山崎本多藩の歴史探訪パネルや山崎藩ゆかりの地巡りなど、徳川四天王の一人、本多忠勝を祖とする本多氏をたっぷりと堪能することが出来ます
いよいよ集落の最高地点を目指して歩きます
坂道を歩きますが、大勢で歩くのでさほどしんどくはありません
そして、「トンビの背中が見える丘」に到着です
田んぼに水が張ってある頃には、山々が水面に映り、美しい風景だそうです
帰路も見どころが
常夜燈ですね
あぜ道を歩き、無事公民館に到着
記念撮影をして、充実の「たにウォーク」を終えました
坂道を歩きますが、大勢で歩くのでさほどしんどくはありません
そして、「トンビの背中が見える丘」に到着です
田んぼに水が張ってある頃には、山々が水面に映り、美しい風景だそうです
帰路も見どころが
常夜燈ですね
あぜ道を歩き、無事公民館に到着
記念撮影をして、充実の「たにウォーク」を終えました
たにウォーク、午後は、市道を集落の南方面へと向かいます
道標があるところから、坂道を登ります
山際に細い道が続いています
地元のひとによると、これが旧因幡街道であったといいます
淡島神社です
山辺の道のごとく、旧因幡街道であったあぜ道を歩きます
郷土力士の「嶋ケ崎」顕彰碑が建っていました
国道29号沿線では、かつて秋祭りに因幡(鳥取東部)や但馬(兵庫北部)から多くの力士が神社の奉納相撲に参加し、当地、谷でも民泊させていたとか
道中でみつけたニャンコです
そして、いよいよ集落の一番高いところを目指します
道標があるところから、坂道を登ります
山際に細い道が続いています
地元のひとによると、これが旧因幡街道であったといいます
淡島神社です
山辺の道のごとく、旧因幡街道であったあぜ道を歩きます
郷土力士の「嶋ケ崎」顕彰碑が建っていました
国道29号沿線では、かつて秋祭りに因幡(鳥取東部)や但馬(兵庫北部)から多くの力士が神社の奉納相撲に参加し、当地、谷でも民泊させていたとか
道中でみつけたニャンコです
そして、いよいよ集落の一番高いところを目指します
3月26日、第2回夢フェス『古民家春祭り』が、安賀夢庵で行われました
「伝統文化に親しもう」と題したコーナーでは、
尺八&琴の演奏会がありました
演奏会には、外国の方や中学生も参加
普段は聞くことがあまりない邦楽の調にうっとり
また、雛人形と掛軸の展示も
さらに、古い農機具展示も
「地元の特産物を使ったグルメ」コーナーでは、
おふくろ工房波賀の巻き寿司とチラシ寿司、笹うどんが振る舞われました
「果樹を植えよう」と題し、ブルーベリーやイチジク、さくらんぼの植樹が
行われました
約50本の苗木を植樹しました
実りの秋が楽しみです
「伝統文化に親しもう」と題したコーナーでは、
尺八&琴の演奏会がありました
演奏会には、外国の方や中学生も参加
普段は聞くことがあまりない邦楽の調にうっとり
また、雛人形と掛軸の展示も
さらに、古い農機具展示も
「地元の特産物を使ったグルメ」コーナーでは、
おふくろ工房波賀の巻き寿司とチラシ寿司、笹うどんが振る舞われました
「果樹を植えよう」と題し、ブルーベリーやイチジク、さくらんぼの植樹が
行われました
約50本の苗木を植樹しました
実りの秋が楽しみです
三峯神社を参拝
境内で、地元ガイドから神社のいわれを聞きます
歴史的な話よりも、子どもの頃の思い出話が多く、参加者の笑いを誘っていました
神社の鳥居の前で、皆何かを見ています
そう、この景色です
引原川と北方に連なる山々が見えます
林の中の道を下っていきます
谷集落の北側の溝野地区にでます
すでに梅の花が咲いていました
引原川沿いを歩きます
水量が少なかったので、堰堤を歩いて中州へ
中州には田や畑がある農園となっていました
中州の出入り口付近にあるカエル岩
見えますか
午前の行程はこれで終わり、一路、公民館へ戻ります
境内で、地元ガイドから神社のいわれを聞きます
歴史的な話よりも、子どもの頃の思い出話が多く、参加者の笑いを誘っていました
神社の鳥居の前で、皆何かを見ています
そう、この景色です
引原川と北方に連なる山々が見えます
林の中の道を下っていきます
谷集落の北側の溝野地区にでます
すでに梅の花が咲いていました
引原川沿いを歩きます
水量が少なかったので、堰堤を歩いて中州へ
中州には田や畑がある農園となっていました
中州の出入り口付近にあるカエル岩
見えますか
午前の行程はこれで終わり、一路、公民館へ戻ります