昼の休憩はひちりき神社の境内にある公民館。
ここで珍しい絵を発見。
高瀬舟の発着場は、市役所付近にある揖保川の両岸(東出石、西出石)にあり、問屋街も同様ですが、神社には、東出石の絵図が奉納されていました。
公民館の中には、西出石の絵図が!!
当時を想像して描かれたものですが、初めてみました(^^♪
午後からは、天気予報どおり雨。
まずは、代官所跡へ。
延宝7年(1679年)宍粟藩取り潰し後、この地を治めていた生野代官所の代官・服部六左衛門の屋敷があったとされる場所で、現在は宅地となり、石碑のみ残っていいます。
そして、河東大橋から、名所 十二波(じゅうにんなみ)を眺めます。
橋のたもとにあるせせらぎ公園には、アユの友釣りの発祥の地である山崎の説明板があります。
公園から見た十二波の様子。
雨に煙った山々の風景が幻想的です
行程の最後は、浜御殿跡へ。
山崎藩主・本多氏別邸のあった場所で、現在は、河川公園として整備するための工事が行わていて、見ることができませんが、石積み補修・復元により避暑に訪れた藩主が眺望した視点を再現する予定です。
午後の雨により、行程を少し早めましたが、ふるさとWALK「揖保川の高瀬舟」は無事終了
地域の人々が、この高瀬舟のことを少しでも興味を持ってもらい、郷土の歴史を後世に伝えていってほしいな~と思います
ここで珍しい絵を発見。
高瀬舟の発着場は、市役所付近にある揖保川の両岸(東出石、西出石)にあり、問屋街も同様ですが、神社には、東出石の絵図が奉納されていました。
公民館の中には、西出石の絵図が!!
当時を想像して描かれたものですが、初めてみました(^^♪
午後からは、天気予報どおり雨。
まずは、代官所跡へ。
延宝7年(1679年)宍粟藩取り潰し後、この地を治めていた生野代官所の代官・服部六左衛門の屋敷があったとされる場所で、現在は宅地となり、石碑のみ残っていいます。
そして、河東大橋から、名所 十二波(じゅうにんなみ)を眺めます。
橋のたもとにあるせせらぎ公園には、アユの友釣りの発祥の地である山崎の説明板があります。
公園から見た十二波の様子。
雨に煙った山々の風景が幻想的です
行程の最後は、浜御殿跡へ。
山崎藩主・本多氏別邸のあった場所で、現在は、河川公園として整備するための工事が行わていて、見ることができませんが、石積み補修・復元により避暑に訪れた藩主が眺望した視点を再現する予定です。
午後の雨により、行程を少し早めましたが、ふるさとWALK「揖保川の高瀬舟」は無事終了
地域の人々が、この高瀬舟のことを少しでも興味を持ってもらい、郷土の歴史を後世に伝えていってほしいな~と思います
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